Moby-Dick;or, The Whale

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読書感想文、今回はユナイテッスティツオブアメェリカァの作家

ハーマン・メルヴィル著の「白鯨」をやっていきます。

実は結構前に読み終えていたんだけど、感想文を書く気力が湧かなくてしばらく放置していた。

そうこうしている内に、次の本も読み終えてしまい、流石にバヤと思って書いている次第。

 

この白鯨は、作者が実際に捕鯨船に従事した経験を元に執筆された小説だそうで

大体のあらすじは知ってる人も多いだろうけど

エイハブという捕鯨船の船長が、自分の片足を食いちぎった

モービィ・ディックという白いクジラに復讐しに行くという話。

題名は国によってバラつきがあるみたいですが

初版の本国アメリカ版は「Moby-Dick;or, The Whale」

アメリカ版よりも先に出たイギリス版は「The Whale」

実はどちらも白鯨とは書いていないらしい。

ただ、時が経って普及された版では「Moby-Dick;or The White Whale」と題され

「白鯨」もここから来ている模様。

 

Moby-Dick;or, The Whale」と「Moby-Dick;or The White Whale」では

ほとんど同じように思えるけど、よく考えると意味が違ってくる。

オリジナルの「モービィ・ディックあるいは鯨」という題名には

「モービィ・ディックに纏わる話と、クジラ全般に纏わる話」というような意味合いもあり

作品の内容からいっても、この題名が適切なように思える。

「モービィ・ディックあるいは白鯨」は、どちらも一個体のクジラの事を指しているので

限定的な意味になってしまっている・・。

その代わり、この作品を象徴する存在にフォーカスが絞られるので

この方が分かりやすいのかもしれない。

しかし、本来のタイトルではないと知ると、白鯨という名前で呼ぶのが

なんだか躊躇われてしまう・・そういうのあるよね。

 

 

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意識高い系の象徴ともなっているスターバックスのその店名は

スターバック一等航海士という白鯨の登場人物に由来しているのは有名な話。

また、スターバックスロゴマークに描かれているのはセイレーンという海の怪物ですが

これも物語の舞台が海なので、それに因んでいると思われます。

しかし、実際にこの作品を読んだ事のある人はそんなにいないのではないでしょうか。

僕もスタバの店名の元ネタになっているという事で興味を惹かれたんですが

ちょっと読んでみようかな、と思っても本屋で実際にその厚さを見るとビビります。

上下巻に分かれた分厚い書物はスマホ世代に威圧感を与える。

wikipedia先生による、話が難解な上に本筋からの脱線が多く、読み通すのが難しいという

事前情報も相まって、長い間興味はあるけど手を付けづらい存在であった・・

 

そして、先生の言っていた事は正しかった。

1851年の作品という事なので、訳語も古めかしい表現が使われていて読みづらいし

話の本筋と関係ない部分については読んでいて眠くなる。

正直無理して読んでいました、名著という評価を知らない状態で渡されたら絶対読んでないと思う。

実際、白鯨のみならず、メルヴィルの作品は彼が生きている内に評価される事はなく

死後になって初めて評価されるようになり、今やアメリカを代表する作家の一人にまでなったとの事。

文豪でこういうタイプは珍しい気がする。

本筋と関係ない部分については、捕鯨船の構造や当時の捕鯨のやり方

クジラの生物学的記述などが事細かに記載されていて

135章(!)から構成される物語の半分はこういった内容です・・・。

 

もはや小説というよりクジラと捕鯨に関する資料そのもの。

なのでメルヴィルさんも「The Whale」または

Moby-Dick;or, The Whale」という題名にしたんでしょう。

まず、読み始めるといきなり古今東西、ありとあらゆる文献の中で

クジラ、もしくはリヴァイアサンについて言及された一部分を集約した文献集を見せられる。

(作品中、リヴァイアサンとクジラは同一のものと見なされている)

この時点で大半の人々は回れ右するか、この部分を読み飛ばす事請け合い。

しかし、インターネットもない時代によくこんな物が作れたなと。

また、僕たちにとっては馴染み深い物ではない旧約聖書中の物語が度々引用され

それもこの作品の読みづらさに拍車をかけているんだけど

メルヴィルという作家の恐ろしい博学っぷりには驚愕の一言。

芥川龍之介の歯車は、その博学による思考の連想が魅力の一つなんですが

ここまでくると冗長過ぎるというか、頭おかしなるで。

 

また、登場人物の名前のいくつかが旧約聖書内の人物に由来しているのと

物語の構造自体が、神(モービィ・ディック) VS 人間(エイハブ達)という物になっているので

旧約聖書の知識と、ユダヤキリスト教の教えへの理解が無ければ物語を真に解する事は不可能。

神を信じて生きていない日本人には厳しいよ!

特に、旧約聖書の中でも、ヨナ書という物語に関しての言及が多い。

このヨナ書では、ヨナという予言者が大きな魚に飲み込まれる話があるみたい。

 

このように、特に日本人には取っつきにくい作品ですが

物語中では度々日本の名前が出てくる。

エイハブ達がモービィ・ディックを発見するのも日本の周辺だったり。

当時、日本はまだ鎖国をしていたので、それについても言及されていたりするんですが

「近い内に日本は捕鯨の為に鎖国を解かれるだろう」というように書かれている。

そもそも、考えてみれば僕は日本が開国を迫られた理由をよく知らなかったんですが

日本周辺はクジラが多いらしい上に、当時アメリカでは捕鯨が盛んだったという事で

開国には、日本を捕鯨船の補給地にするという目的があったそう。

つまりここに書かれている事はその通り現実になっている、メルヴィルさんパネェっす。

 

そもそも、国の玄関を無理矢理ぶち開ける程に当時は捕鯨が盛んであったとは・・。

正直、捕鯨ってなんかパッとしないなぁと最初は思っていた。

そして、恐らく多くの人が僕と同じ勘違いをしていると思うのですが

この捕鯨はクジラを食用にする為の物ではなく、むしろクジラの肉は敬遠されている。

エイハブ達が標的としているのはマッコウクジラなんですが

マッコウクジラからは、鯨油という油が大量に取れるそうで

これは蝋燭・灯油・潤滑油などの原材料となったそう。

特に、頭部から採れる「鯨蝋」という油脂は精密機器の潤滑油に利用され

当時、他の代替品が無かった事から高価で売買されていたそう。

捕鯨の目的はこの鯨蝋にあった訳ですね・・。

ちなみにこの鯨蝋は精液に似ているようで

マッコウクジラの英語名はsperm whale(精液クジラ)というらしい。

最悪の名前付けられとるやんけ

 

簡単に登場人物の紹介。

 

イシュメール

実は、有名なエイハブ船長は主人公ではなく

彼が主人公なのです。

というのも、エイハブ達の船であるピークォド号は

モービィ・ディックとの闘いに敗れて沈没。

ピークォド号唯一の生き残りであるイシュメールが綴った手記が

この作品であるというアレ。

イシュメールは荒くれ者のイメージがある海の男とは真逆で

哲学に傾倒し、頭の中で常に思考を巡らせているような人物。

つまり、この作品の脱線の多さ、読みづらさはこいつのせい、絶対に許すな。

 

クイークェグ

僕が作品中、一番魅力を感じたキャラクター。

イシュメールとクイークェグの出会いをきっかけに物語は進みだし〼。

イシュメールが宿に泊まろうとするも既に満室。

「他の宿泊客と同じベッドで寝ては?」と亭主がトンデモ提案をしてくるんですが

イシュメールがこのトンデモ提案を受け入れた結果

一緒に寝る事になった相手がこのクイークェグ。

実はカニバリズムを行う食人族の異教徒であり

その事実を知ったイシュメールは、当然、そんな奴と一緒に寝たくないとなり

いよいよクイークェグがベッドに入ってきた時にケンカになるんですが

クイークェグの態度を前にして自分が先入観と思い込みに囚われていた事に気づき

「酔っぱらったキリスト教徒よりも、正気な食人種と一緒に寝たほうがましだろう」と

合点し、クイークェグと一夜を共にするというアッー!な展開。

それからすっかり打ち解けた二人が一緒にピークォド号に乗り込むという流れです。

銛投げの名手で、ピークォド号に乗船した際にその腕前を披露し

イシュメールが300番配当といわれたのに対し、90番配当を言い渡されます。

(給与分配の制度で、数字が若い方が分配が多い)

 

エイハブ

ピークォド号の船長であり、実質主人公。

自分の足を奪ったモービィ・ディックに並ならぬ

復讐心を抱いている「絶対復讐するマン」

復讐に心を囚われ過ぎていて、それ以外の事には興味がない。

雷のようであると評される強烈な人物で、船員から恐れられている。

船が出航してから自分の目的を船員達に話し

モービィ・ディックを最初に発見した者には金貨を与えると皆を扇動する。

やがて褒美ではなく、狂気で船を支配していき、船員達を自らの運命に引きずり込む。

とんでもないジジイだな(率直)

 

スターバック

スタバの名前の元になった例の人物ですが

終盤になるまで印象的なシーンが少ないので

正直、そんなに目立つキャラクターではないと思う。

階級は一等航海士という事で、僕は最初下っ端の人間だと思っていた。

というのも、Jだと〇士は最下層の階級区分を表す物だからなのです。

(〇士→〇曹→〇尉→〇佐と階級区分が上がっていく)

しかし、作品中では高い地位にいる人物であるように書かれているので

ん?と思って調べてみた所、一等航海士がほぼ副船長ぐらいの階級である事を知る。

スターバック氏は冷静な常識人というような感じ。

本来は船長の右腕であるハズですが

己の私欲の為に船を使うエイハブに真向から対立しています。

信心深く、神に反抗する事を恐れているような節があり

船員達がエイハブに煽られ、打倒モービィ・ディックという流れになっていても

スターバック氏だけはエイハブに対して苦言を呈している。

wikipedia先生にある通り、スターバック氏とコーヒーの関連性はありません。

ただ、先生はコーヒーという単語自体、作品中に一回しか出てこないと書いてるけど

これは嘘で、僕は2~3回ほど目にした。

もしかしたら翻訳の関係でそうなっていて、原文だと先生が正しいかもしれないですが。

主人公でもないし、コーヒー関係ないのに、なんでスタバの由来になったのかって?

そんなのあっしが聞きたいよ。

単純に、創業者が「白鯨好きだからここから店名をつけよう」ってなって

聖書で使われている名前を避けた結果、スターバック氏に決まったぐらいの理由な気がする。

元々は船の名前であるピークォド号から名前を取るつもりだったけど

peeが英語で小便の意味なので、コーヒー店で小便を連想させるのはマズいだろうと

ボツになった・・・という話もチラッと見た気がします。

 

スタブ

スターバック氏に次ぐ地位にいる二等航海士。

スタブとスタバで紛らわしいですが、冷静なスターバック氏に対し

スタブはThe 海の男という感じの豪快な人物。

作中で最初にクジラを仕留めるのがこのスタブという事もあり

キャラとしてはスターバック氏よりも印象に残りやすいのではないかと思う。

航海士は三等航海士までいて、その3人が船の幹部という感じなんですが

三等航海士のフラスクの事は全然印象に残っていないので

スタブを持って人物紹介を終了させていただきます・・。

 

まとめ。

この小説を本当に理解し、楽しむ為には

もれなくユダヤキリスト教の教養が必要となる。

ストーリーからの脱線が多く

脱線部分については当時の捕鯨手法の紹介や

捕鯨船内で行われる作業の解説、クジラ学の記述など

ほぼ学術的な読み物になっている。

章で分けられているので、本筋部分だけ読みたいって人は

関係ない章は飛ばして読んでもいいんじゃないでしょうか。

ただ、この詳細な記述のおかげで

白鯨は歴史的に貴重な書物でもあるとされているそうです。

タシカニ、僕はこれを読む事で当時の捕鯨が非常に重要な物であった事を知った。

特に日本の開国にも捕鯨が関係していたのには驚いた。

それに、捕鯨の目的が鯨蝋という油を採取する為に行われていたというのも

白鯨を読むまで知らなかったし・・

 

多種多様な乗組員達には、人種のるつぼと形容されるアメリカらしさを感じます。

真面目で信心深いスターバック氏に対し、ちゃらんぽらんのスタブ

食人族であるクイークェグやインディアンまでいる。

こういった魅力的な登場人物の会話シーンは普通に面白いけど

イシュメールの語り手部分は冗長過ぎると感じました。

ただ、それによってただクジラを倒しにいくだけの話だけではなく

作品を格式高い物にあらしめており、間違いなく名作となっている。

単純にエンタメ的な面白さを提供する作品ではなく

読み手にも教養を求められる作品、これが本当の名作なのかもしれないですね。

あと翻訳によっても読みやすさが大分左右される気がする。

では恒例の印象に残った場面を紹介しようのコーナー。

 

 

六月の大草原を訪ねてみたまえ。

鬼百合の咲く草原の膝まで隠れる草のあいだを

何十、何百マイルと徒歩で渡ってゆくとき―

ただ一つ不足している魅力とは?-

水だ―

1滴の水もあそこにはない!

 

ナイヤガラが、もし砂の瀑布だったら

千マイルも旅をして諸君はそれを見に出かけるか?

 

テネシィの貧しい詩人が、突然に両手いっぱいの銀貨を受け取ったとき

あわれにも欲しがっていた上衣を買おうか

それともロッカウェイ浜へ徒歩旅行をしようかと

考えふけったというのはなぜだろう?

 

強健なこころを持った強健な少年が、ほとんど例外なく

一度は気違いのように海へ行きたがるのはなぜだろう?

 

はじめて船客となって航海したとき

いま船は陸地の見えないところへ出たとはじめて聞かされて

不思議な心のおののきを感じるのはなぜだろう?

 

 

しかし、人間というものは

何か間違ったことがありそうだと思ったときでも

もしすでに自分がそれに巻きこまれてしまっていたならば

無意識のうちにおのれ自身に対しても

その疑惑を包み隠そうとすることがあるものだ。

 

 

この美しい言葉が、そのときほどわたしに美しく聞こえたことはなかった。

希望と充実とにあふれた言葉である。

波風荒い大西洋の、凍てつくような冬の夜ではあったが―

足も濡れ、ズボンはさらに濡れそぼってはいたが

数知れぬ楽しい港がわれらを待ち受け、野も谷間も永遠の緑に息づき

春もえ出でた草は踏みにじられず萎えもせずに

真夏の日まで、かわらぬ姿をたのしむのだ―と

そのときのわたしには想われた。

 

 

だが問題は―

ここで考えねばならぬ唯一のことは―

載冠式に使うのはいかなる種類の油であるかということだ。

もとよりオリーヴ油であるはずもなく、まして

ひまし油、熊の油、せみ鯨の油、鱈肝油のごときものではない。

しからばすなわち、あらゆる油のうちでもっとも芳ばしい

抹香鯨油の、未加工の純良のものでなくて何があろう?

 

忠良なるブリトン人諸君、われら鯨捕りこそは諸君の王

女王の載冠式の油を供給するものであることを忘れたもうな!

 

 

スターバックは「鯨を怖がらんようなやつは、おれのボートに乗せぬ」という。

おそらくそれは、もっとも信頼すべき有用な勇気とは

目前の危険の大きさを正しく測定するところから生まれるものであるばかりでなく

少しも恐怖を知らぬ人間は、臆病者よりもさらに危険な同僚だ、という意味であったろう。

 

 

スタブが起きて着物を着る順序は

まず第一にズボンに脚を差しこむことではなくて

口にパイプを差しこむことだ。

 

 

第一巻(フォリオ判)第五章(長須鯨)―

この鯨についてはその名のほかにはほとんど知られていない。

わたしはホーン岬の沖で、遠くからこれを見たことがある。

引っこみ思案であって、漁夫からも学者からもうまく姿をくらます。

臆病者ではないのだが、長いするどい崖のように高まった背中のほかは決して見せたことがない。

勝手にさせておこう。

わたしはこれ以上は知らぬし、誰だってみな知らないのだ。

 

 

かりに現在、この瞬間にも、どこかの哀れな男が

ニューギニア沖あたりで鯨索に身をさらわれ

銛を打たれた巨鯨に海底へ引きずりこまれているかも知れない―

諸君はその哀れな男の名が、明日の朝食のテーブルで

読む新聞の死亡欄に出ると思いますか?

どういたしまして。

 

わが国とニューギニアとのあいだの郵便ははなはだもって頼りにならぬ。

現に、ニューギニアから直接にしろ間接にしろ

定期的な通信などといえるようなものを受け取った事実がどこにありますか?

ところでわたしははっきり言う―

太平洋行きのある1回の航海で、出逢った多くの船と言葉を交わしたが

そのうちの三十艙は、少なくとも1人は鯨に殺されていたし

2人以上殺されたものは数艙、1ボートそっくり喪ったものが3艙あった。

 

どうぞ諸君、お宅のランプや蝋燭を倹約していただきたい。

諸君が燃やす1ガロンの油でも

そのために少なくとも1滴の人血を絞らずには得られなかったのだから!

 

 

そして最後に、わたしはやがては「白鯨」という

世にも怖ろしい悪鬼のごとき敵と戦う羽目になっているということ―

つまりこれらすべてのことを考え合わせたとき

わたしは即刻下へ降りて、遺言の下書きでも

書いておいたほうが良さそうだと思ったことを白状する。

「おいクイークェグ」とわたしは言った。

「いっしょに来てくれ、おまえにおれの

顧問弁護士、遺言執行人、遺産引取人になってもらうから」

 

 

夜を日に継いだ休みなしの烈しい労働が九十六時間も打っ続き

終日手頚が腫むほど赤道の荒海を漕ぐボートから―

やっと甲板に上がれば巨大な錨鎖を運び、重い締轆を吊り揚げ

そうして打った斬って細裂いて、何と、全身を流れる汗が湯気を吐いて焼きつくまでに

赤道の太陽と赤道の精油炉とが一つになった火焔地獄に曝された揚句の果てに

息つく間もなく身を粉にして船内を洗い清め

汚染ひとつない酪農部屋に磨き立てるまで、ひと通り済んだところで―

 

それがまた幾度くりかえされたことか

みじめな男たちが小ざっぱりした上衣のボタンをやっと嵌めている最中に

「汐噴いてるぞう!」の声に驚かされるが否や

飛びだしてまた新しい鯨と闘い

もう一度始めから終りまでのあの辛い仕事をやり抜くのだ。

ああ!友よ、だがこれはあんまり残酷非道ではないか!

 

けれどもこれが人生である。

われら生きとし生ける人間が、長い労苦の末にこの世の巨鯨の胴体から

少量ながら貴重な脳油を、やっと搾り取ったと思った矢先

辛いのを辛抱して、その汚れを洗い浄め

いまこそ精進の魂の幕屋に潔斎して日を送ろうと悟った―

と思った矢先、驚破や―

「汐噴いてるぞう!」―

 

幽鬼が海原からさしまねけば

またもわれらはどこか次の世と格闘すべく船出して

若い生命の昔ながらの定めの業を始めから終わりまでやり抜くのだ。

 

 

相手の船長が進み寄ると、エイハブはその鯨骨の脚を突き出して

(まるで二つの剣魚の刀身のように)

その鯨骨の腕と交叉させて、海象のように大声に

「やあやあ、お仲間!骨と骨とでご挨拶じゃ!腕と脚じゃ!

決して怯むことのない腕と、あくまで逃げることのない脚との対面じゃ。

おぬしはどこで白鯨に会われた?―よほど前か?」

 

 

エイハブは綱棚から装填した銃を把って

(これは一般南海航路船の船室備品の一つをなしている)

それをスターバックに差しつけ、叫んだ。

「地上の主たる神は一つ

ピークォドの主たる船長も一人だ。―甲番へ!」

 

 

世の中で死にかけている人間ほど暴君的なものはないが

かれらがわれわれを困らすのもほんの僅かのあいだだけだと思えば

気の済むようにさせてやるほうがよいことは、皆わかっていたのだ。

 

 

しかもそのあいだには幾条の銀河のごとき珊瑚礁

限りもなく低く横たわる無数の群島

未知の扉に閉ざされた幾多の"日本"が漂っている。

 

 

急ぎ足で舵席のほうへ進みながら、嗄れ声で船はどの方向へ進んでいるかと問いかける。

「東南東です、船長」驚いた舵手が言う。

「嘘をつけ!」拳をかためて舵手を殴りつけながら

「朝のこの時刻に東をさして行く者が、太陽を背にするか?」

これを聞いて、誰ひとり狼狽せぬ者はなかった。

いまエイハブが観測した現象は意外にも他の者すべてが見落としていたからだ。

だがそれは余りにも判りやすいことだったからこそに違いなかった。

羅針函のなかへ半ば頭を突っ込んで、エイハブは一目で羅針を見た。

振り上げた腕が、のろのろと落ちた。

一瞬、彼はほとんどよろめかんばかりだった。

彼の後ろに立って、スターバックが覗きこんだ。

すると、驚くべし!二本の磁針は東を指し

そしてピークォド号は紛う方なく西へ進んでいるのだ。

 

 

「おお、船長!船長!高貴な霊魂!偉大な心情!やっぱりそうだった!

何のためにあのひとの厭がる魚を追うことがあります!

わたしと一緒に行きましょう!この怖ろしい海から逃れましょう!

故郷へ帰りましょう!妻や子が、スターバックにもあります―

みな兄や姉のように無邪気に、一緒に遊ぶ若い妻や子が―

ちょうどあなたと同じように、船長、ああ、あなたの愛情ゆたかな

あこがれの、家長らしい老年に迎えた奥さんや子供さん!

行きましょう!さあ行きましょう!―

いま即刻、わたしに針路を変えさせてください!

元気で、大浮かれで、おお、船長、懐かしいナンタケットへの帰りの船路では

酒盛をしながら行けるじゃありませんか!

ナンタケットにも、こういう穏やかな晴れた日も、幾日かはあると思いますよ。」

 

「おおあるとも、あるとも。おれは見たことがある―

夏の朝じゃ。ちょうどいま時分―

うむ、いまはちょうどあれが正午寝どきじゃ―

あの坊は機嫌よう目をさますやつでな。寝床に起き上る。

すると母親がおれの話を、人食い爺いのおれの話をして聞かせる。

おれが故国を離れて海の上におる話を

だがまた帰って来て、坊を遊ばせてくれるという話をのう」

 

「まるでわたしのメアリと同じことです!

わたしのメアリは毎朝うちの坊やと約束するんです。

お父ちゃんの船の帆がいちばんさきに見えるように

丘の上へ連れて行ってやるって!

そうです、そうです!もうわかった!話はすんだ!

われわれはナンタケットに向うんだ!

さあ、船長、進路を調べて、出発しましょう!

ごらんなさい!坊やの顔が窓から見えます!坊やが丘の上で手を振っています!」

 

だがエイハブの視線は反らされた。

残害に遭った果樹のように、彼は身をふるわせて

最後の萎びた林檎を、地に掃い落した。

 

 

「何が見える?」顔を水平になるほど空へ向けて、エイハブが叫ぶ。

「見えませんよ、何にも!」落ちて来た返事はこれだ。

「上檣帆!―補助帆!―下も上も、それから両舷とも!」

全部の帆を開くと、次に彼は大檣最上檣へ彼を吊り揚げるため用意してあった命索をほどいた。

数瞬の後、水夫らが彼を吊り揚げている途中、やっと三分の二ほどまで来たとき

中檣横帆と上檣帆とのあいだの水平な空間から前面を除き見た彼は

たちまち鷗の啼くような叫び声を空に挙げた。

「噴いとるぞ!噴いとるぞ!雪丘のような瘤だ!

モービィ・ディックだ!」

 

 

追撃の狂気は、古酒が新しく利くように

そのときすでにかれらを沸騰するまでに 酔わせていた。

どんな蒼白い恐怖や不吉な予感がさきには一部の者に感ぜられていたとしても

いまそれらはエイハブへの畏怖によって外に現れなくなっていたばかりではなく

臆病な草原の兎が地を蹴って追い来る野牛の前に散り散りになるように

すべて爆け飛んで八方に散ってしまったのだ。

「運命」の手はかれらすべての魂を掴んでいた。