ドグラ・マグラ

 

今回の書籍は夢野久作著のドグラ・マグラ

 

 

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表紙を見ただけで分かる、その異質さ、おぞましさ、タマラナサ......

日本3大奇書の1つとして有名。

(残りの2冊の事はよく知りません)

僕の中では、3大奇書は3大電波ゲームと同じような物という認識です。

なので、3大電波ゲームに惹かれ、内2作品をプレイした僕は

(ジサツのための101の方法だけ起動できなかった)

以前からこの本を読んでみたいと思っていたのでした。

「この本を読破した者は、必ず精神に異常をきたす」という触れ込みも有名で

・現実と虚構の区別がつかない方

・生きているのが辛い方

・犯罪行為をする予定のある方

・何かにすがりたい方

・殺人癖のある方

これらに当てはまる方はプレイを控えてくださいという

さよならを教えての注意書きに近しい物を感じる。

 

本自体を買ったのは結構前の事で

初めてのソロキャンプ時に持っていった本でもあります。

冒頭の部分だけ読んで、長いこと置いといたんだけど

この前ついに読み終わりました。

上下巻で分かれているので結構な大作。

ちなみに、夢野久作氏は福岡の生まれで

福岡の昔の方言で「夢想家、夢ばかり見ている人」を

夢の久作というらしく、それをペンネームにしたのだそう。

夢野久作氏は「この作品を書く為に生まれてきた」と公言しており

構成・執筆・推敲に10年以上を費やしたそうな。

そして、ドグラ・マグラ発表の翌年、夢野久作氏は脳出血で急逝しています。

この事も作品に怪奇めいた印象を与えていて

とにかく、普通の小説とは訳が違うという感じがする。

本のジャンルは探偵小説となっています。

(今でいう推理小説と同じらしい)

 

胎児よ

胎児よ

何故躍る

母親の心がわかって

おそろしいのか

 

本作はこの巻頭歌と題された詩のような物から始まる。

有名なので、どっかで見た事あるという人も多いかもしれない。

次のページからが本文で、男が目を覚ますシーンから始まります。

その男の耳の中では時計の音が残響していて

この時計の音がまさに1文目に来ているんだけどかなり独特。

 

......ブウウ―――――ンンン―――――ンンンン...................。

 

僕は最初「ハエが飛んでる」と思いました。

作中では「蜜蜂が唸るような音」と形容されています。

 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」

吾輩は猫である。名前はまだない。」

「山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。」

「メロスは激怒した。」

「きょう、ママンが死んだ。」

 

有名な書き出しというとこのような物がありますが

書き出しが擬音というのはかなり珍しいんじゃないでしょうか・・。

謎の巻頭歌の後に目にする本文の書き出しがこれなので

たった2ページで作品の異質さが伝わってくる。

しかし、この辺りの文は思わず読み込んでしまう内容で

かなり練られて書かれた物だと思われます。

そして、起き上がった男は、自分がどこにいるのか

そして自分がどこの誰なのか分からない事に気づく

つまり記憶喪失になっている訳ですが

これに気づく場面もいい。

 

......いよいよおかしい......。

こわごわ右手をあげて、自分の顔を撫でまわしてみた。

......鼻が尖がって......眼が落ち窪んで......頭髪が蓬々と乱れて......

顎鬚がモジャモジャと延びて......。

......私はガバと跳ね起きた。

モウ一度、頭を撫でまわしてみた。

そこいらをキョロキョロと見まわした。

......誰だろう......おれはコンナ人間を知らない......。

 

......誰だろう......おれはコンナ人間を知らない......。の絶望感すごい

既に気づいた人もいると思いますが

本作は三点リーダーを多用し、普通は使わないような所で

カタカナを用いるという特徴的な文体で書かれています。

この文体も相まって、不穏で不気味な雰囲気を醸し出しながら物語が進行していく。

やがて、男は隣の部屋から

自分に呼びかけているらしい女の声を耳にします。

 

「お兄さま。お兄さま。お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま。......

モウ一度......今のお声を聞かしてエーッ......」

 

 

ヒエッ・・・

 

自分が何者なのか、どこにいるのかも分からない状態で

自分を呼びかける謎の女の声が隣の部屋から聞こえてくるという

頭おかしなるでな状況が展開されます。

やがて夜が明け、一人の男が訪ねてくる。

顔長の大男(「六尺を越えるかと思われる」とあるので1m80cm程?)で

主人公の目からは、かなり不気味な存在に映っているようです。

その大男が名刺を差し出すのですが、名刺にはこうあります。

 

九州帝国大学法医学教授

医学部長

若林鏡太郎

 

ここで主人公は九州大学の精神病科にいる事が分かります。

若林と名乗る大男は、主人公に自分の名前を思い出したかと尋ねる。

どうも、ある事件が発生し

それを解決する為には、主人公が過去の記憶を思い出す必要があるらしい。

自分が誰だか見当もつかない主人公にとっては

むしろ俺の名前を教えてくれという感じですが

若林博士は自分で思い出さないと意味がないと

主人公の名前を教えようとしません。

そして、主人公の記憶を回復させるために様々な手段を講じる事になります。

まず、風呂に入れて散髪を行い、着替えをさせて

記憶を失う前と同じ髪型・恰好に仕立て上げる。

しかし、主人公は記憶を取り戻すどころか

自分がこんなに若かったのかとその容姿に驚く。

 

次に、若林博士はある部屋に主人公を連れて行きます。

部屋の中にいたのは、眠りについている絶世の美少女で

主人公にこの人の名前が分かりますかと尋ねる。

その美しい容姿に思わず見とれる主人公ですが、全く記憶にはない。

実はこの少女が、隣の部屋でお兄さま攻撃をしてきた張本人で

なんでも主人公の許嫁との事らしい。

ちなみに本人も美男子という事で

作品が持つおどろおどろしい雰囲気とは裏腹に

主要人物は大体イケメンもしくは美女だったりする。

 

若林博士は、許嫁と引き合わせても主人公の記憶が戻らない事が分かると

つい最近まで大学の主任教授を務めていたという

正木敬之という人物の部屋に男を連れて行きます。

この正木博士は一ヵ月程前に自殺をして亡くなったとの事で

若林博士の語るところによると、自分が足元にも及ばないような天才で

若林博士は正木博士の事をほとんど神のように崇拝しているらしいという事が分かる。

そして、若林博士はその部屋にある展示品の中で

主人公が一番興味を惹かれるのはどれかというのを試験させてほしいという。

気味の悪い展示物を流し見していた主人公ですが、ある物に目が止まります。

 

それは五寸ぐらいの高さに積み重ねてある原稿紙の綴込みで

かなり大勢の人が読んだものらしく

上の方の数枚は破れ穢れてボロボロになりかけている。

ガラスの破れ目からけがをしないように、手を突込んで

注意して調べてみると、全部で五冊に分かれていて

その第一ページごとに赤インキの一ページ大の亜剌比亜数字で

Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴと番号が打ってある。

その一番上の一冊の半分千切れた第一ページをめくってみると

何かしら和歌みたようなものが

ノート式の赤インキ片仮名マジリで横書にしてある。

 

巻頭歌

 

胎児よ胎児よ何故踊る 母親の

心がわかっておそろしいのか

 

その次のページに黒インキのゴシック体で

ドグラ・マグラと標題が書いてあるが、作者の名前はない。

一番最初の第一行が......ブウウ―――――ンンン―――――ンンンン...という

片仮名の行列から始まっているようであるが

最後の一行が、やはり......ブウウ―――――ンンン―――――ンンンン...という

同じ片仮名の行列で終わっているところを見ると

全部一続きの小説みたような物ではないかと思われる。

 

 

今まさにボクが読んでいる本なんだが?

 

そう、同じ名前の、同じ内容が書かれていると思わしき本が出てくるのです。

この時点では勿論、最後の一行は読んでいない訳だけれど

おそらく本書も同じ終わり方になるんだろうなという事が予想される。

若林博士によると、正木博士が亡くなって間もなく

大学生の患者が書き上げた物だという。

ドグラ・マグラという作品名については、作中での説明によると

バテレンが使うといわれた幻魔術の事を指した長崎地方の方言とも

「堂廻目眩」「戸惑面喰」という字をあてた物ともいわれますが

実際どういう意味があるのかは不明。

主人公は、若林博士がこの本を読ませたがっている様子を感じ取り

不気味に思って、結局読まずにスルーします。

その後、若林博士から正木博士の論文や遺言書などをまとめたという

書類の綴込みを差し出される主人公ですが

若林博士の説明も耳に入らなくなる程

いつの間にかその書類の内容にのめり込みます。

そこからは作中作という感じで

主人公が読んでいる書類の内容が記されていくんですが

それが上巻の後半部分と下巻の前半部分を占めているので

「主人公が読んでいる正木博士の遺稿」が本作の大部分を構成しているという......

また、この遺稿は以下の構成になっています。

 

キチガイ地獄外道祭文

■地球表面は狂人の一大解放治療場

■絶対探偵小説脳髄は物を考えるところに非ず

■胎児の夢

空前絶後の遺言書

■心理遺伝論付録

・呉一郎伯母八代子の談話

・松村マツ子女史談

・戸倉仙五郎の談話

・青黛山如月寺縁起

・野見山法倫氏談話

・呉八代子の談話概要

 

この遺稿の内、キチガイ地獄外道祭文は特に有名で

スチャラカチャカポコとひたすら木魚でリズムを取りつつ

この世の地獄を唄うという物なんですが

この部分を読むのがキツいという感想が多い

タシカニ結構長いし、ひたすら同じような文が続いてげんなりするんですが

語感良く書かれているのでまだ読める。

どんな感じかはここで確認できまっせ

ドグラ・マグラ本編も青空文庫で読める)

 

んで、正木博士の書いたという文献類は

ふざけたような、かなりくだけた表現で書かれているのでまだよい。

空前絶後の遺言書は、主人公に関係しているという

事件の概要を記載した物なんだけど

その中に出てくる心理遺伝論付録については

若林博士が書いた事件の調査書のような物らしく

堅い文章で書かれてるのでここの方が辛い。

さらに、そこで取り上げられている青黛山如月寺縁起については

ほとんど古文みたいな感じでマジで読めない。

流石にここは読み飛ばしました。

なので、これを読んでいるうちに

自然と正木博士に好意を抱く読者は多いと思う、僕はそうでした。

 

そして、主人公が全てを読み終えると

いつの間にか目の前に死んだ筈の正木博士が座っているという......

 

そこから、主人公と正木博士の対話が始まり

物語が終わりを迎える訳なんですが

僕は最初、思ったより訳分からん話じゃなかったなと思った。

しかし、よくよく考えてみると

いや全然分からん......ってなったんですよね......

 

この本が推理小説という事は

本題となる謎があるハズ。

細かい謎は他にもあると思うんですが、大きな謎はこの2つ

 

・事件の犯人は誰なのか

・主人公の正体は誰なのか

 

これについて、犯人はなんとなく察しがつくというか

作中でも述べられているんですが

この事件とは別に、主人公を貶めている犯人がいるという可能性がある。

そして主人公の正体、これが本当にわからん。

というのも、主人公が精神に異常をきたしているので

幻と現実が入り交じり、何が本当なのか分からなくなるのです。

どうも胎児が見ている夢だという説が濃厚な模様。

僕はイマイチ納得できないんですが

巻頭歌に胎児よ胎児よ......とあるのを見ると

タシカニそうなのかもしれないな......となる。

昔実写映画化された事もあり

そちらは分かりやすく、評判も結構良さそうなので

機会があれば観てみたいと思います。

よく一回読んだだけで内容を理解するのは不可能といわれるので

機会があればもう一度読んで理解を深めてみたい。

 

ちなみに精神に異常をきたすなんて事はありませんでした。

本当に大丈夫でした。

いたって正常な精神でこれを書いています。

なんにもシンパイありません。

僕は正常です。

精神は正常です。

 

 

太陽は、これら無限の精神病患者の大群を

地上一面に生み付けて、永久に無言の解放治療を続けている。

そうするとその禽獣、虫ケラ以下の半狂人である人類たちは

永い年月のうちに自然と自分たちがキチガイの大群衆であることを自覚し始めて

宗教とか、道徳とか、法律とか、または赤い主義とか

青い主義とかいう御丁寧なものを作って

「お互いに無茶を止しましょう......変な真似をやめましょう」をやっている。

だから吾輩もその小さな模型を作って

僭越ながら太陽氏になり代わって「無限の解放治療」を試みている。

「人類全部がキチガイ」という観察点に立脚した

ホントウの科学的な精神病の研究治療を試みているのだ。

 

 

次にこの野蛮人もしくは、原始人の皮を一度剥くってみると

その下には畜生......すなわち禽獣の性格が一パイに横溢していることが発見される。

たとえば同性......すなわち知らない男同士か

女同士が初対面をすると、一応は人間らしい挨拶をするが

腹の中では妙に眼の球を白くし合って

ウソウソと相手の周囲を嗅ぎまわる心理状態を現わす。

ウッカリすると吠え立てる。

かみ付く......町の辻で出会った犬猫の心理と全然同一である。

そのほか自分より弱いものを見付けると

ちょっと苛めてみたくなる。

すこし邪魔になる奴は殺してみようかと思う。

誰もいなければ盗んでやろうか。

他人の小便を嗅いでおこうか。

自分の遺物は埋めておこうか......なぞいった畜生のままの心理の表現を

吾人は日常生活の到るところに発揮しているので

誰でも口にする「コン畜生」とか「この獣め」とかいう

罵倒詞に当てはまる心理のあらわれは、皆これにほかならぬのである。

 

次に、この禽獣性の下にある隔膜を今一つ切開くと

今度は、その下から虫の心理がウジャウジャと現れて来る。

たとえば、仲間を押し落しても高いところへはい上ろうとする。

誰にも見えないところをはい廻ってうまいことをしようとする。

うまいことをすると、すぐに安全第一の穴へ潜り込もうとする。

栄養のいい奴を見付けると、コッソリ近付いて寄生しようと試みる。

あたりかまわぬ不愉快な姿や動作をして一身を保護しようとする。

固い殻に隠れて寄せつけまいとする。

敵と見ると、ほかの者を犠牲にしても自分だけ助かろうとする。

いよいよとなると毒針を振廻す。

墨汁を吐く。

小便を放射し、悪臭を放散する。

またはそこいらの地物や、自分より強い者の姿に化ける......

なぞ、低級、卑怯な人間のすることは皆

かような虫の本能の丸出しで、俗諺に言う

弱虫、蛆虫、米喰虫、泣虫、血吸虫、雪隠虫、屁放虫

ゲジゲジ野郎、ボーフラ野郎なぞいう言葉は

こうした虫ケラ時代の心理の遺伝したもののあらわれを指した

軽蔑詞にほかならない。

 

次に......最後に、この虫の心理の核心......

すなわち人間の本能の最も奥深いところにある

一切の動物心理の核心を切開いてみると、黴菌、その他の微生物と

共通した原生動物の心理が現れて来る。

それは無意味に生きて、無意味に動きまわっているとしか思えない働き方で

いわゆる群集心理、流行心理もしくは、弥次馬心理というものによって

あらわされている場合が多い。

その動きまわっている行動の一つ一つを引離してみると

全然無意味なもののように見えるが、それが多数に集まると

いろいろな黴菌と同様の恐るべき作用を起すことになる。

すなわち光るもの、りっぱなもの、声の高いもの

理屈の簡単なもの、刺激のハッキリしているものなぞいう

新しい、わかり易いものの方へ方へと群がり寄って行くのであるが

むろん判断力もなければ、理解力もない。

顕微鏡下に置かれた微生物と同様の無自覚、無定見のまま

恍惚として、大勢に引かれながら大勢が行く。

そこに無意味な感激があり、誇りと安心があるのであるが

しまいには何ということなしに感激のあまり夢中になって

惜し気もなく生命を捨てて行く......

暴動......革命等に陥って行く有様は

さながらに林檎酸の一滴に集中する精虫の観がある。

人間の心理はここに到って初めて、物理や化学式の運動変化の法則に近づいて来る。

すなわち無生物と皮一重のところまで来るので

政治家、その他の人気取りを職業とするものが利用するのは

かような人間性の中心となっている黴菌性の流露にほかならないのである。

 

 

少々ヨタが強過ぎるかも知れないが

どうせ死ぬ前の暇潰しに書く遺言書だ。

ウイスキーがいくら効いたってかまうこたあない。

あとは野となれ山となれだ......

ここいらでまた、一服さしてもらうかね。

......ああ愉快だ、こうやって自殺の前夜に

宇宙万有をオヒァラかした気持ちで遺言書を書いて行く。

書きくたびれるとスリッパのまま

廻転椅子の上に座り込んで、膝を抱えながら

プカリプカリと、ウルトラマリンやガムボージ色の煙を吐き出す。

......そうするとその煙が、朝雲、夕雲の棚引くように

ユラリユラリと高く高く天井を眼がけて渦巻き昇って

やがて一定の高さまで来ると、水面に浮く油のように

ユルリユルリと散り拡がって

霊あるもののごとく結ばれつ解けつ、悲しそうに、または嬉しそうに

とりどりさまざまの非幾何学的な曲線を描きあらわしつつ

薄れ薄れて消えて行く。

それを大きな廻転椅子の中からボンヤリと見上げている

小さな骸骨みたような吾輩の姿は

さながらアラビアンナイトに出て来る魔法使いをそのままだろう......

ああ眠い。

ウイスキーが利いたそうな。

ムニャムニャムニャ......

窓の外は星だらけだ。

......エート......何だったけな......ウンウン。

星一つか......「星一つ、見付けて博士世を終り」か......

ハハン......あまり有り難くないナ............

ムニャムニャムニャ......ムニャムニャムニャムニャムニャ........................

...ムニャムニャムニャ....................................。

 

 

「......仮にある人間が、一つの罪を犯したとすると

その罪は、いかに完全に他人の眼から回避し得たものとしても

自分自身の『記憶の鏡』の中に残っている。

罪人としての浅ましい自分の姿は、永久に拭い消すことができないものである。

これは人間に記憶力というものがある以上、やむをえないので

誰でも軽蔑するくらいよく知っている事実ではあるが......

サテ実際の例に照してみると、なかなか軽蔑なぞしておられない。

この記憶の鏡に映ずる自分の罪の姿なるものは

常に、五分も隙のない名探偵の威嚇力と

絶対に逃れ途のない共犯者の脅迫力とを同時にあらわしつつ

あらゆる犯罪に共通した唯一、絶対の弱点となって

最後の息を引取る間際まで、人知れず犯人に付纏って来るものなのだ。

......しかもこの名探偵と共犯者の追求から救われ得る道はただ二つ

「自殺」と「発狂」以外にないと言ってもいいくらい

その恐ろしさが徹底している。

世俗にいわゆる「良心の呵責」なるものは

畢竟するところこうした自分の記憶から受ける脅迫観念にほかならないので

この脅迫観念から救われるためには

自己の記憶力を殺してしまうよりほかに方法はない......ということになるのだ。

......だから、あらゆる犯罪者はその頭が良ければいいほど

この弱点を隠蔽して警戒しようと努力するのだが

その隠蔽の手段がまた、十人が十人、百人が百人共通的に

最後の唯一絶対式の方法に帰着している。

すなわち自分の心の奥の、奥のドン底に一つの秘密室を作って

その暗黒の中に、自分の『罪の姿』を『記憶の鏡』と一緒に密閉して

自分自身にも見えないようにしようと試みるのであるが

あいにくなことに、この『記憶の鏡』という代物は

周囲を暗くすればするほど

アリアリと輝き出して来るもので、見まいとすればするほど

見たくてたまらないという奇怪極まる反逆的な作用と

これに伴う底知れぬ魅力とを持っているものなのだ。

しかしそれをそうと知れば知るほど

その魅力がたまらないものとなって来るので

死物狂いに我慢をしたあげく、やりきれなくなって

チラリとその記憶の鏡を振返る。

そうすると、その鏡に映っている自分の罪の姿も

やはり自分を振り返っているので

双方の視線が必然的にピッタリと行き合う。

思わずゾッとしながら自分の罪の姿の前にうなだれることになる......

こんなことが度重なるうちに、とうとうやりきれなくなって

この秘密室をタタキ破って、人の前にサラケ出す。

記憶の鏡に映る自分の罪の姿を公衆に指さして見せる。

『犯人はおれだ。この罪の姿を見ろ』

......と白日の下に告白する。

そうするとその自分の罪の姿が、鏡の反逆作用でスッと消える......

初めて自分一人になってホッとするのだ。」