ごくつぶし

「私はある組織に属している人間なの。その組織の名前がアーテル」

煙を口から漂わせてクロは言った。

私もポケットからセブン・スタアを取り出し火をつける。

「ちなみにテロルだとかそんな怪しい組織ではないわ。国家直属の組織なのよ。」

そう言いクロは胸ポケットからケースに入れられた身分証のような物を取り出し私に見せる。

しかしアーテルという組織名など何処にも書かれていない

ただ『上記の者は、防衛省職員であることを認める。』という一文があるのみである。

他にはクロの顔写真と氏名、認識番号と防衛大臣の印が印刷されているのみだ。

そして私は此処で初めてクロの本名を知る事となる。

防衛省の管轄なのか・・・しかしアーテルという組織名は何処にも表記されていない」

防衛省にそんな組織があるなんて話聞いた事ないでしょう?

つまり、私達の存在はトップシークレットっていう事よ」

そう言うとクロは身分証を再び内ポケットにしまいこんだ。

「脱落防止は、しなくていいの?」

「そんな事をするのは公務員でも自衛官ぐらいよ。あなたのような、ね」

「元、だけどな」

当然の如く私が元自衛官であるという情報も既にクロは掌握済みであった

「私に近づいたのは私が元自衛官であるからか?

しかし既に知っている事だとは思うけれど私は体力的に秀でた自衛官ではなかったし

学力も酷いもんだ、入隊試験なんざ数学と英語は全部適当に答えてやったぐらいだ

職種も、そんな国の秘密に携わる物ではなかったし私を選ぶのは明らかに人選ミスだと思うけれど」

「私もそう思うわ。」

クロから返ってきたのはあっけないほど率直な答えだった

「だけどあなたの能力が必要とされているのよ。」

「今の会話の流れは明らかにおかしいと思うんだが・・」

「それを今から説明するのよ、今から話す事を貴方は嘘だと思うでしょうけれど

しかしこれはどうしようもない事実なの、だからよく耳を傾けることね」

とりあえず私は疑惑の念を消してクロの話を聞く事だけに徹しようと、決めた。

身分証が本物なのかは分からないがとりあえず私はクロを信じてみようと思ったのだ。

そうしないとこの話し合いが終わるとも思えない。

「貴方、今の日本は平和だと思う?」

「平和?そりゃ領土問題や領空、領海侵犯問題等の軍事的摩擦はあるけれど

実際に第二次世界大戦後、憲法九条が施行されてからは軍事衝突は起きていないし

治安も海外に比べたらダントツに良い、他国の状況を見れば十分平和だと言えると思うけど。

姉貴なんて日本で戦争が起こるなんて絶対にないと思い込んでるぐらいだし他にもそういう人は何人もいるだろうね」

「そうよ、日本には『平和ボケ』という言葉が存在する程平和な国なの

しかし、地球はこの『平和』という状態が異質な物だと捉えてる。

この『平和』という状態に拒絶反応を起こしているのよ」

「地球が拒絶反応??」

「ええ、元より生物は捕食者と被食者との関係の中で繁殖し、進化を遂げてきた

弱肉強食の世界、弱き者は生き延びる事の出来ないそんな世界だった

その中高度な知識を有したホモサピエンスが生まれ、農耕を行い家畜を産み出しそのシステムを大きく変えてしまった

体が弱い者でも狩りに出かける必要はなく、いつでも安定した食事を摂る事が出来るようになったの

だけど今度は同じ人間同士で争うようになった。

古くから人々は土地を巡り、あるいは思想、宗教、部族で対立し争いを繰り返してきた

皮肉にもそれが原因で人間の文化は更なる発展を遂げた。人の歴史は戦争の歴史というようにね

そしてそれは今でも各地で行われている。

実際国の数というのは195もあるけれど貧困にあえがず長い間戦争もしていなくて

教育が行き届いて治安も安定している経済国なんてほんのひと握りしかないのよ

そんな国は本来生物があるべく姿から最も離れているとも言える

その場所は逆に地球からしたら腫瘍のような物であると認識してしまったようね

そして地球は新たなエネルギーたる物を日本に生み出してしまった

私達がインサニアと呼ぶそのエネルギーが最初に発生したのは1991年と言われているわ。」

「1991年といえば私が生まれた年だ」

「そう、そしてバブル景気が崩壊した年でもある

このエネルギーが蔓延する事により様々な物に負の作用が働いてしまうの

不況、自殺、イジメ・・日本を取り巻く負のオーラのような物それはこのインサニアが原因となっている

そしてこれを排除するのが私達アーテルの目的という訳」

「ふむ・・」

信じてみようとは思ったが、正直あまりに規模が大きく、そして非現実的な話であった。

地球が新たなエネルギーを生み出した?それが原因で長きに渡る不況が続いていると?

しかし日本に負のオーラが満ち溢れている事は私も感じていた事だ

高層ビルが立ち並ぶ都心部、しかしスーツ姿の人々は誰もが中身を無くした入れ物のような顔立ちをしている。

夜にも関わらず眩い程の光が溢れているに反し人の心は闇が溢れている。

私はフィルター寸前まで燃えてしまっていたタバコをもみ消してドリンクバーで淹れてきたアイスティーを一飲みした。

「それで、私に協力しろというのは?」

「インサニアには感知出来る人と、そうでない人がいる。

霊感がある人間とそうでない人間とがいるようにね

そして貴方にはどうやらその素質があるみたい、それが貴方に接近した理由よ

これを貴方に渡すわ」

そう言ってクロがカバンから取り出したのはメガネケースのような箱だ

実際、その中身に入っているのは何ら変哲のないメガネだった。

「これは?」

「そのメガネのレンズは特殊な素材で出来ている。

そしてインサニアを可視化する事が出来るのよ。最もそれは素質のある人間に限られるんだけどね」

試しにかけてみるも視界に変化が現れる事はない。

「現在ここにはインサニアは発生してないわよ。ただもうじき発生する」

「そんな事がわかるのか?」

「ええ、インサニアが発生する前には電磁波に異常が起きるのが確認されているわ

それがこの周辺で確認されたの、これが私が混沌の午後が到来するといった理由。

それがきっかけにして何が起こるかまでは予測出来ないけれど

多方大規模の交通事故といった所かしら。

しかし私たちの力によってそれを未然に防ぐ事が出来る」

それが本当ならば凄い事だ。

しかし本当にそんな事が可能なのだろうか?

その時携帯電話の着信音が部屋に鳴り響いた

「もしもし、ええ、分かったわ、すぐ行く。

え?かえるくんまだ山科にいるの?とにかくすぐ来てよね。それじゃ」

クロは急いで電話を切ると私を睨みつけるようにして言った

「インサニアが河原町に発生したわ、急ぐわよ」

私の平穏な午後は完全に打ち砕かれたようだ