メメント・モリ
最近思うのが人の人生っていうのは既に決められている物なんじゃないかという事
生まれた家庭環境でまず殆どそいつの将来が決まる
裕福な家庭に生まれれば大抵金に困る事はないだろうし貧相な家に生まれれば金に困る場面はいくらでも出てくる
親が優秀なスポーツ選手なら自分もその血を引き継いでスポーツ選手として活躍出来るだろうし
親がガンなら自分もガンになる可能性が高くなる、親がハゲてたら自分もハゲる可能性が高い
まず親がどういう人物かによってそいつの人生は大体決定されている
親に関係なくそいつ特有の才能があったりする場合もあるし
才能が無くても努力でそれを磨く人間もある
しかし努力をしたからといってその努力が報われるとも限らない
才能が無い奴は努力しても一定以上まではいけないだろうし
努力だけでトップクラスまで来たっていう奴も本当はそういう才能があったに違いない
本当に才能が無い奴は努力だけでトップクラスに立てる筈がない
才能がある奴が努力した結果には絶対勝てないから
そしてその努力というのも既に決められている事なんじゃないかと思う。
あそこで努力してなかったら今の自分は無かったというけど
その努力っていうのも予め努力するように運命付けられていた物なんじゃないかと
人生の転機というのは最初っから用意されている物であり
それを選んだのは自分と思いこんでいるだけで全ては最初から決定されている事なんじゃなかろうか
まぁ宿命論まんまなんだけど
お笑い芸人とか作家だとかで成功した奴は生まれた時からそうなるように作られている
偉人だとかも為すべき者が為すべき形で成し遂げた結果
こう書いていると自分が何をしようが全て無意味な行為に思えるネガティブな思想のように感じるかもしれないけど
そう考えると自分の人生が上手くいかなくても所詮自分の人生はこういう物なんだと諦めがつく
むしろ楽観的になれる気がするね
ひょっとしたら自分は50歳で大きな事業に成功するように運命付けられているのかもしれないし
30歳で肺ガンで死ぬかもしれない、明日交通事故で死ぬかもしれない
それが生まれ持って与えられた人生だとするならば妙に納得してしまう
そんなような事をヨコハマ行こうか迷っている時に考え付いた
自分にとってヨコハマ行くっていうのは大きな選択肢の一つで
その結果どうなるか全く分からない、家賃払えないぐらいのギリギリの生活になるかもしれない
そんな不安の中で思いました。
Jを辞めたのもこの時の為かもしれない
思うようにいかない事が多いが自分は人生のレールの上に乗って黙々と終着駅に向かって走ってるだけで
何も間違った事はしていないのかもしれない
そもそも間違った選択というのは人生にあるのか
予め決められている人生ならばそんな物は無い筈だ
全ての選択には意味があり無意味な結果など無く、全ては起こるべくして起きた物
今日スロットで諭吉2枚吸われたのも必然だったのだ
はぁ・・・・・