天保十二年のシェイクスピア

来るべきものはいま来なくともいずれは来る

いま来れば後には来ない

後に来なければいま来るだけの事


ハムレット読み終えた

電車での読書が捗る事が判明

家だと読んでる途中で飽きが生じすぐパソコンに手を伸ばしてしまうが

電車だと他にする事が無いので集中が家と全然違う

そして何故か家で読んでると全然面白く感じないのに電車で読んでいると集中しているからか面白く感じる

これによって最近は車通勤が主だったけれど電車通勤も有りだと感じるように

しかし僕が毎回思うのは外国小説を日本語訳で読んで本来の良さが分かるのかという点

小説となると言葉の響き等も重要になってくる為、映画のように日本語訳でも楽しめるというのは無いような気がする

最もストーリーをなぞるだけならそれでいいんだけれど

特にシェイクスピアのように韻や言葉遊びがあっても日本語訳ではそれを伝える事が出来ない

更に僕は言葉には感覚的な物もあり他国の言語を完全に理解するのは不可能に思う

他国の言語を理解する時、まず頭の中で日本語に置き換える作業が生じる

その時点で既にその言語は別の意味をともなってしまうのではないか

と思ったけど常用していればその内変換作業も必要なく言語として理解出来るようになるのかもしれない

外国語喋れるというのはそういう事なのだろうか・・

来るアムステルダムに向けて最低限英語は話せるようになりたいが

勉強する気にもならないししても理解出来る気はしないです