これからこれをやります

 

去年の誕生日にろてね氏から貰ったティファニーで朝食を今更読み終えた

というか映画見たことないし

特別読みたいと思っていた本でもなくて

なんで欲しい物リストに入れてたのか分からない

ブランドとしてのティファニーはイメージカラーがビアンキに似てるという事で

なんとなく好感を持っていたのでその延長だろうか・・

原作と映画では内容が少し異なるらしく

気になったので、読み終わった後に映画も視聴

そしたら突然聞いた事のあるフレーズが出てきて驚いた

ネコミミモードを作ったディミトリ・フロム・パリさんの曲で

使われてるフレーズだった

 

 

ティファニーが元ネタだったとは・・

How do I look?

Very good

という一連のシーンの会話をそのまま使っている

 

f:id:yosii:20190623164100j:plain

f:id:yosii:20190623164104j:plain

 

その後曲のメインフレーズとして使われている

I am a very stylish girlというセリフも聞く事が出来た

 

f:id:yosii:20190623164551j:plain

 

このセリフを発したのは主人公の援交相手である金持ちのマダム

主人公から関係を断って欲しいと切り出され

女が出来たと勘付いたマダムは小切手を書いて

これで2人で旅行でも行ってきなさいと主人公に渡そうとするシーンでの一言

これはどうせ金に困るか、別れるかして自分の所に戻ってくるんだから

それまでこの金を使ってせいぜい楽しめというようなニュアンスが含まれていて

主人公は小切手の受け取りを拒否する

 

なんというか、全然関係ないと思っていた物が結びついたな

たまにアニメとか見返すと、知識不足でその時は気付かなかった

パロディネタに気付いたりして少し気持ちいい時があるんだけど

それと同じような感覚がしました

 

以下、感想とタイトルについての考察

 

両方とも見て思ったのが、やっぱり映画の方が分かりやすくなってるという感想

基本的なストーリーはほとんど同じなんだけど

映画版だとラストで主人公とオードリーヘプバーン演じるホリーゴライトリーが

二人は幸せなキスをして終了なのに対し

原作ではホリーが姿を消して終わる

このラストによって映画版ではラブストーリーという位置付けが出来るんだけど

原作では主人公とホリーが恋人になるというような描写もなく

あくまで良き友人としての交流のみ

言ってみれば作品としての立ち位置があやふやなんですよね

なんというか詩的であり、読み手の感受性が試される

人によっては、で?結局なんの話?となりかねない

 

あと、原作だと特にそうなんだけど

ホリーゴライトリーという人物に魅力を感じるかどうかによって

作品に対する評価が全然違ってくると思う

しかもこのキャラクター、男をとっかえひっかえし

自分のワガママで周囲をかき回すというタイプの為

好きになれないという人も多いんではないかと

ホリーに対して魅力を感じなければ、主人公や周囲の男たちに共感する事も出来ないし

主人公がホリーの幸せを願うラストも理解出来ないだろう

 

ティファニーで朝食をというタイトルについて

wikiではティファニーで朝食を食べる身分という説明が書いてあるんだけど

意味が分からないし、僕が思うタイトルの意味について書きます。

これはホリーの人物像と

作中で描かれるティファニー、そしてラストを結び付ければ見えてくる。

 

ホリーには自分の居場所を求めて彷徨う理想主義者的な所を感じる。

これは、ホリーの名刺の住所欄に

ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング(旅行中)と書かれてあり

その理由が、明日自分がどこに住んでいるかなんて分からないからという

エピソードからも分かる。

ホリーという人物を秀逸に表現したエピソードだと思うんだけど

映画では何故かカットされてる。

印象的なエピソードなので、わざわざカットした理由としては

やっぱりラストの違いからなのだろうか

そして実際に原作ではブラジルへ旅たち、かと思えばアルゼンチンから

主人公に手紙を出し、アフリカで目撃情報があったりと

まったく落ち着く気配がない。

 

作中で語られるティファニーはホリーのお気に入りの場所であり

気分が沈んだ時にティファニーに行くと心が落ち着くとある

まさしくこのティファニーがホリーの目指す理想の象徴

更に、飼っている猫に名前をつけない理由を説明するセリフの中にこうある

「自分といろんな物事がひとつになれる場所を見つけるまで

私は何も所有をしたくない、そしてそれはティファニーのような場所

この現実の世界にティファニーのような場所が見つかれば

家具を揃え、猫に名前をつける事も出来るのに」と

 

そして、ラストで主人公はいなくなってしまったホリーに想いを巡らせ

理想の場所を見つけだし、心の安息を手に入れているようにと

ホリーの幸せを願い、物語は終わる

このラストからも、ティファニーで朝食をというタイトルは

ホリーにとっての理想の場所での生活を意味していて

ラストの主人公の願いを表した物ではないかと感じたまでです。

つまり映画版だとこのタイトルの意味がないのではないかと・・

だから無理矢理ティファニーの前でパンを食べるカットを作ったのかもしれない

 

長々となりましたが、原作は思っていたより深い作品でした

映画も映画でオードリー・ヘプバーンが見事にハマっているなぁと

原作者は本来マリリンモンローに演じてほしかったらしく

オードリー・ヘプバーンが演じる事に凄い抵抗があったみたいだし

実際イメージとは真逆のキャラクターな感じだけど

名作故に、映画を見る前から

ティファニーで朝食を=オードリーヘプバーンというイメージが既にあったし

ミスキャストだなとは全然感じなかった