女生徒

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読書感想文、今回は太宰治の「女生徒」です。

実は随分前に読み終わっていたんですが

この話の元になった、「有明淑(ありあけしず)の日記」を読むのに

時間がかかっていた為

更新までに時間が空く事になりました。

 

どういうことかというと、この女生徒は

有明淑という、太宰の読者が、自身の書いた日記を太宰に送り

太宰がそれを元に書いた小説なのです。

女生徒を読み終わったあと、僕はこの有明淑の日記も気になって

購入した次第なんですが

実はこの有明淑の日記は、普通の本屋では売ってない。

なんと、青森県近代文学館という所から

資料という形で請求しないと買えないのです・・。

という訳で、青森県近代文学館にメールを送って、自宅に届けてもらった次第。

 

僕が本を読むのは、ほとんど移動時間中、電車の中なのですが

資料というだけあって、大判サイズで電車内で読みにくく

家の中でしか読めないというのと

旧仮名遣い&漢字も旧字体で、原文で訂正してある箇所も

そのまま掲載している為、非常に読みづらく

読み終わるのに随分時間がかかってしまった。

例えば、「東京駅」という字を「東京驛」と書いてあったりする。

それまでの話の流れとかで、恐らく東京駅の事だろうなと分かるけれど

所々どうしても読めない箇所もあってかなり大変だった。

 

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こんな感じです。

上半分が実際の原稿の写真で、下半分が書き起こされた文。

これは有明淑が、実際に「女生徒」であった、1938年4月から8月までの日記なんですが

太宰がこの日記を切り貼りし、1日の出来事、心情に仕立てあげたのが女生徒。

僕が有明淑の日記を読んで驚いたのは、最後に載せる

「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました~という一連の文章が

元になったこの日記に書いてあったという事。

読んでいて印象的な部分だったので、これを一学生が書いたのは凄いな・・と

というか、聞いてる音楽や読んでいる本などの話が出てくるんですが

それが一々教養があるなぁと感じる。

最も、当時はスマホ等も無かった訳だし

それが普通の娯楽だったのかもしれませんが

川端康成が、女生徒を読んで感じた女生徒像について

「少しは高貴でもあるだろう」と評している事から

この感想もあながち間違いではないのかもと思える。

 

というか、有明淑の日記の話ばかりになってしまっているので

肝心な女生徒の話に行きます。

元々は、完全に表紙に惹かれて買いました。

漫画以外での本のジャケ買いは初めて。

そして、肝心な本は紛失してしまい

読んでから日も経ってるので、この本に関しては書ける事がありません。

 

・・・。

 

マジで紛失しました(カス)

覚えてる範囲で書くと、女生徒だけではなく、他の作品も収録されていて

その全部が、太宰が女性視点で描いてる話になっています。

個人的には、この女生徒よりも、他の作品の方が「女が書いた感」があると思いました。

ただやはり、女生徒が一番印象に残る作品だった。

元になっているのが日記なので、特にストーリーはなく

たんに女学生が日々感じた事などを綴った話になっているんだけど

その部分がすでに魅力的じゃないですか?

多感な時期の少女が感じた事や、考えてる事を書いた日記・・

それを太宰が監修している。

それを知っていたら、表紙を見てなくても買ってると思う。

 特に太宰治が好きという訳ではないのだけれど・・。

 

 そして有明淑の日記と比べると、やはり随分と読みやすくなっている。

また、大部分は有明淑の日記の抜粋なんだけれど、太宰オリジナルの文もあって

それが違和感なく挿入されているのも凄いと思う。

私たちみんなの苦しみを、ほんとに誰も知らないのだもの~という一連の文も

原文にはないのだけれど、いかにも少年少女というか

大人では中々書けない文ではないかと思う。

しかし、それでいて、その思想は、確かに太宰治の物と思われ

自分の思想を、この「女生徒」を通して語らせてしまっている所は見事。

 

女生徒を読んだ時も思ったのですが、有明淑の日記を読んで特に思ったのが

書き手は両親が大好きだということ。

そして父親が既に亡くなっているらしいということ。

有明淑の日記にはハッキリと故人である旨が書いてある)

いい娘でありたいと思いつつも、素直になれず

母親に反発してしまい、母親に対して申し訳なく感じていること。

戦争に対して否定的であること。

(当時としてはこういった女性の批判精神は珍しかったらしい)

 

えーでは以下読んでいて印象に残った部分を抜粋します。

 

 朝は、なんだか、しらじらしい。

悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。

 

「お父さん」と呼んでみる。

お父さん、お父さん。

夕焼の空は綺麗です。

そうして、夕靄は、ピンク色。

夕日の光が靄の中に溶けて、にじんで、そのために靄がこんなに

やわらかいピンク色になっているんでしょう。

そのピンクの靄がゆらゆら流れて、木立の間にもぐっていったり

路の上を歩いたり、草原を撫でたり

そうして、私のからだをふんわり包んでしまいます。

私の髪の毛一本一本まで、ピンクの光は、そっと幽かにてらして

そうしてやわらかく撫でてくれます。

 

それよりも、この空は、美しい。

このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。

私は、いま神様を信じます。

これは、この空の色は、なんという色なのかしら。

薔薇。火事。虹。天使の翼。大伽藍

いいえ、そんなんじゃない。

もっと、もっと神々しい。

 

「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。

じっと空を見ていると、だんだん空が変ってゆくのです。

だんだん青味がかってゆくのです。

ただ、溜息ばかりで、裸になってしまいたくなりました。

それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。

そっと草に、さわってみました。

美しく生きたいと思います。

 

 私たちみんなの苦しみを、ほんとに誰も知らないのだもの。

いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘しさは

可笑しなものだった、となんでもなく

追憶できるようになるかも知れないのだけれど

けれども、その大人になりきるまでの

この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。

 

 誰も教えて呉れないのだ。

ほって置くより仕様のない、ハシカみたいな病気なのかしら。

でも、ハシカで死ぬる人もあるし

ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。

放って置くのは、いけないことだ。

私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり

そのうちには、踏みはずし

うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって

一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。

また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。

そうなってしまってから、世の中のひとたちが

ああ、もう少し生きていたらわかることなのに

もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと

どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば

苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて

なにか世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても

やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して

まあ、まあと。 なだめるばかりで、私たち、いつまでも

恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。

 

私たちは、決して刹那主義ではないけれども

あんまり遠くの山を指さして

あそこまで行けば見晴らしがいい、と、それは、きっとその通りで

みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど

現在こんな烈しい腹痛を起こしているのに

その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして

ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ

あの山の頂上まで行けば、しめたものだ

とただ、そのことばかり教えている。

 

きっと、誰かが間違っている。

わるいのは、あなただ。

 

以下は有明淑の日記にしか記載のない部分になります。

旧仮名部分などは勝手に直してます。

 

明日横浜に行ってやる為に、午後はウクレレのボンボンだ。

私は何につけても不器用な故だろう、ちっとも軽やかな深い音が出ない。

いつかの夜、あんまり静かなので

いい気になってボンボンとやり出したら

叔母さんが、「アレ、雨かえ、雨だれの音がするよ」と云ったそうだ。

これによっても私の腕前はわかる。…… 

 

以下は「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました~の原文。

こうして見比べると、やはり太宰verの方が洗練されてますね。

 

お父さん、お父さん

こんな美しいこんな愛情に満ちた空を見た事は無いのです。

「田園」を聴いている時、何んだか、あたりが

明るくなった様な気がしました。

急いで窓を開けてみると、もうもう、素敵で

夢中になって外に出てしまいました。

もう家の庭といい、前の畑といい、みんなみんな

ピンクにつつまれているのです。

夕日がもやの為に、ピンク色になったのでしょう。

そのピンクの光が、もやの流れと一緒に、庭におりてきたり

池のまわりをつつんだり、木の間にもぐっていったり

私の体をすっかりやわらかくなでてくれるのです。

髪の毛一本一本まで、ピンクの光りは

そっとかすかにてらしてくれます。

 

それよりももっと美しいのは、その夕焼の空です。

このお空は、生れて始めて、頭を下げたい程、神々しく見えました。

あれは何んていう色なのでしょう。

口や筆ではとても現わせない位いです。

もう生きて、こうやっている事が、勿体ない様な

よかったと云う様な気持でいっぱいになりましたの。

「みんなを愛したい」と涙が出そうな位い思いました。

じっと見ている間に、その空は、だんだん変わってゆくのです。

だんだん青味がかってゆくのです。

唯、よかったよかったと裸になってしまいたくなりました。

それから此の時程、木の葉や、花や草が、透明に

美しく見えたこともありません。

そっとさわってみました。

田舎に住んでいるのが、幸福です。

 

家に入ってきても、まだ「田園」はやってきました。

又此の時程、「田園」を綺麗な曲だと思った事もありません。

お父さん、誰に感謝をしたらいいんでしょう。

美しく生きたいと思います。

 

ここで語られている田園とは、当然ながら玉置浩二の曲ではなく

ベートーヴェンの田園を指しているものと思われます。