歯車

今読んでいる本が長編な上に

またコロナが騒がれ始め、僕らの出張も再度停止になったので

(出張の移動時間中が一番読書が捗る)

次回の更新まで時間が空きそう、という事で

今回は、今まで読んだ小説の中で

個人的に好きな作品のランキングを発表・解説していきたいと思います。

1位 歯車

2位 コインロッカー・ベイビーズ

3位 星の王子さま

 

全然統一感のないランキングですが、1位の歯車から解説していきませう。

 

題名の歯車とは、主人公の視界に

半透明の歯車の幻視が見える事からつけられていて

実際に芥川自身にも見えていたと言われています。

当時の医学では、この幻視について解明されていなかったようですが

主人公が頭痛に悩まされている事からも

片頭痛の兆候である、閃輝暗点という物だったのでは?と指摘されてるとか。

Wikipedia大先生曰く、医師国家試験でこの作品が引用され

歯車の幻視について、片頭痛が症状の原因であると

解答させる問題が出題されたそうです。

もしかしたら、医療関係者の間では有名な作品なのかもしれない。


恐らく芥川作品の中では、他の代表作に比べると

マイナーな部類に入ると思うのですが

まずは僕がこの作品を知ったきっかけについて。

まだ、今程に本を読み始める前に(確か高校の時)

有名な芥川龍之介の河童を一度読んでみたいと思い

本屋で買ってきたら、これまた有名な或阿呆の一生を含めた

晩年の作品が他にも幾つか収録されていて

その中に、この歯車も収録されていたといった具合でした。

 

そして、本来読みたかった河童は、なんでこんなに有名なんだろうか・・

と思ってしまう程に、個人的には内容がイマイチ理解出来ず

面白いと感じる事も出来ませんでした。

これは当時の話なので、今読めば違う印象を受けるかもしれないし

また今度読み直そうと思ってます。

で、他の作品にもさほど興味を惹かれなかったのですが

この歯車については、凄く魅力を感じて

今日に至るまで、僕の一番好きな作品として君臨し続けています。

 

この歯車がどういう作品かというと

芥川龍之介の晩年の作品で、自殺をした年に書かれた作品である事から

自殺直前の危うげな精神状態が生々しく描かれています。

この作品に明確なストーリーは存在せず

ひたすら病的な精神世界が展開されていく・・という感じ。

以前このブログにも書きましたが、芥川龍之介は小説の価値を決めるのは

ストーリーだけではない、話そのものよりも美しい文書や詩的表現などに

重きを置いた「話らしい話のない小説」にも価値があると提唱しており

この作品は、まさに自身が提唱した「話らしい話のない小説」に当たると思います。

 

という訳で、作品全体に詩的な雰囲気が纏っていて

読んでいて印象に残るフレーズが多い。

それに短編なので、サッと読める故に

何度も繰り返し読みたくなるような作品なのです。

作中で表現されている、危うい精神状態はどういう事なのかというと

芥川自身がモデルになっていると思われる、作中の主人公は

あらゆる出来事や風景に、吉兆や凶兆を見出していくんですが

その殆どが凶兆で、何をしても、どこにいても心が落ち着かず

ひたすら強迫観念に苦しめられていきます。

・・そんな話のどこが良いのかという事なんですが

主人公の思考の連想が、吉兆や凶兆に繋がっていく過程が知的で

読んでいると、やっぱ芥川龍之介って天才なんだなって感じるんですよね。

有名なTwitterのイラストで、頭の良い人と悪い人の違いというのがありますが

僕は、芥川龍之介という天才の連想力に感銘を受けました。

 

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そして、瞑想の事を知る上で、ネガティブな思考の殆どは

自動思考から生み出され、自動思考は精神衛生上よろしくない事を知ったので

まさしく歯車そのものだな、と感じた次第です。


記念すべきアネロスマガジン第1回の名書を読めコーナーでも

この作品を取り上げていて、その時の紹介文に

芥川龍之介が天才と呼ばれる所以はこれを読めば分かる」と書きましたが

それは、予想だにしないストーリー展開や

考えもつかない設定があるという訳ではなく

高い教養を元にした連想力・想像力を知る事が出来るという意味です。

・・最も、本来天才といわれる所以は別の所にあるのでしょうが。

 

教養は無いけれども、ネガティブ的な思考は僕の中にも渦巻いているので

この作品が纏っている陰鬱な雰囲気にも魅力を感じました。

例えば、エヴァのシンジ君の性格にも凄く共感を抱いたし

僕は、漫画サークルの模造クリスタルが凄く好きなんですが

模造クリスタル作品も、特に過去作品には陰鬱とした雰囲気が漂っている。

といっても、登場人物の悩みや葛藤が哲学的なので

ただ暗いという訳ではないかもしれませんが。

更に、文学的であり、美術的である点も魅力。

このブログのタイトルにも引用している、Serial experiments lain

アニメ版・ゲーム版、共に陰鬱としてますし

ネガティブな物に惹かれているのかもしれない。

なので、そういった物が苦手という人にはオススメできないかも。

 

ただでさえ印象に残る文が多い上に

「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」

という、作品の最後を飾る一文も衝撃的で

芥川龍之介が実際に自殺をしている事実を含め

今後、僕の中でこの作品を超える作品は無いだろうなと感じています。

 

 

作中では、鳳凰麒麟・タンタロスなど、神話上・伝説上の

生物の名前が度々挙げられているのが印象に残ります。

そして、作中で何度も登場するのがレエン・コオト(原文表記)の存在。

 

物語の初めに、主人公はレエン・コオトを着た幽霊の話を聞きます。

その話を聞いた直後に、駅の待合室で

レエン・コオトを着た男の姿を見かけます。

その時には然程気にしない様子の主人公ですが

またその直後、電車の中でレエン・コオトを着た男を見かけ

いよいよ不気味に思い始めます。

 そして、主人公の姉の夫(義理の兄)が、鉄道自殺をしたという

知らせが主人公の元に飛び込んでくるのですが

その遺体が、季節に縁のないレエン・コオトを羽織っていたというのです。

(実際に、芥川龍之介の義理の兄は鉄道自殺をしている)

 

その話の後も、度々レエン・コオトというモチーフが登場するのですが

これにどんな意味があるのか、僕は然程気にしていませんでした。

 しかしある日、歯車について書かれたブログを読んでいて

「レエン・コオトを日本語に直すと・・?」

という記載を見つけ、そういう事だったのか・・・と感心した覚えがあります。

作中で挙げられる伝説上の生物達。

芥川龍之介を代表する作品名。

 

・・・という訳で僕が1番好きな小説の解説でした。

本当はこの記事でベスト3まで解説しようかと思っていたんですが

この感じだと、ファッキンクソ長くなってしまいそうなので

折を見て、ベスト2、ベスト3も個別で解説していこうと思います。

最後に、印象的に思った部分を紹介しようのコーナーをしていきたいのですが

先にも書いた通り、印象的なフレーズや場面が多い作品なので

どちらにせよクソ長くなります。

 

 

廊下の隅の給仕だまりには一人も給仕は見えなかった。

しかし彼等の話し声はちょっと僕の耳をかすめて行った。

それは何とか言われたのに答えたAll rightと云う英語だった。

「オオル・ライト」?-

僕はいつかこの対話の意味を正確に掴もうとあせっていた。

「オオル・ライト」?「オオル・ライト」?

何が一体オオル・ライトなのであろう?

 

「Aさんではいらっしゃいませんか?」

「そうです」

「どうもそんな気がしたものですから、・・・」

「何か御用ですか?」

「いえ、唯お目にかかりたかっただけです。僕も先生の愛読者の・・・」

僕はもうその時にはちょっと帽をとったぎり、彼を後ろに歩き出していた。


先生、A先生、ー

それは僕にはこの頃では最も不快な言葉だった。

僕はあらゆる罪悪を犯していることを信じていた。

しかも彼らは何かの機会に僕を先生と呼びつづけていた。

僕はそこに僕を嘲る何ものかを感じずにはいられなかった。

何ものかを?-


しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはいられなかった。

僕はつい二三箇月前にも或小さい同人雑誌にこう云う言葉を発表していた。

-「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。

僕の持っているのは神経だけである」・・・

 

三十分ばかりたった後、僕は或ビルディングへはいり

昇降機に乗って三階へのぼった。

それから或レストオランの硝子戸を押してはいろうとした。

が、硝子戸は動かなかった。

のみならずそこには「定休日」と書いた漆塗りの札も下がっていた。

僕は愈不快になり、硝子戸の向こうのテエブルの上に

林檎やバナナを盛ったのを見たまま、もう一度往来へ出ることにした。

すると会社員らしい男が二人なにか快活にしゃべりながら

このビルディングへ入るために僕の肩をこすって行った。

彼等の一人はその拍子に「イライラしてね」と言ったらしかった。


僕は往来に佇んだなり、タクシイの通るのを待ち合わせていた。

タクシイは容易に通らなかった。

のみならずたまに通ったのは必ず黄いろい車だった。

(この黄いろいタクシイはなぜか僕に交通事故の面倒を

かけるのを常としていた)

そのうちに僕は縁起の好い緑いろの車を見つけ

兎に角青山の墓地に近い精神病院へ出かけることにした。

「イライラする、-Tantalizing-Tantalus-Inferno・・・」

タンタルスは実際硝子戸越しに果物を眺めた僕自身だった。

僕は二度も僕の目に浮かんだダンテの地獄を詛いながら

じっと運転手の背中を眺めていた。

 Tantalizingは「じれったい」を意味する英語。

語源は、ギリシャ神話に登場する、不死の体を持つ

Tantalusータンタルス(タンタロス)にある。

神の怒りを買い、タルタロスという地獄に落とされてしまったタンタロス。

タルタロスでは、水を飲もうとすれば水が引いていき

果物を食べようとしたらその果物が己から遠ざかっていく為

不死故に、永遠の飢えと乾きに苦しめられるようになったというエピソードから。

特に「欲しい物が目の前にあるのに届かない」という

じれったさを表す言葉らしいです。

「イライラしてね」という会話からこの言葉を連想し

タンタルスは実際硝子戸越しに果物を眺めた僕自身だった。」と繋げている。

Tantalizing-Tantalusに続くInfernoは、けもフレ2地獄説でおなじみ

ダンテ著、神曲の地獄編を指していて

前述のタルタロスから連想された言葉と思われます。

 

僕はこのカッフェの薔薇色の壁に何か平和に近いものを感じ

一番奥のテエブルの前にやっと楽々と腰をおろした。

そこには幸い僕の外に二三人の客のあるだけだった。

僕は一杯のココアを啜り、ふだんのように巻煙草をふかし出した。

巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行った。

この優しい色の調和もやはり僕には愉快だった。


けれども僕は暫くの後、僕の左の壁にかけたナポレオンの肖像画を見つけ

そろそろ又不安を感じ出した。

ナポレオンはまだ学生だった時、彼の地理のノオト・ブックの最後に

「セエント・ヘレナ、小さい島」と記していた。

それは或は僕等の言うように偶然だったかも知れなかった。

しかしナポレオン自身にさえ恐怖を呼び起こしたのは確かだった。・・・

 ナポレオンは失脚後に、セエント・ヘレナ(セント・ヘレナ)という島に

島流し、幽閉されます。

学生だった頃に、本当にそういうメモ書きを残していたのかは不明。

 

僕はもう一度人目に見えない苦しみの中に落ちこむのを恐れ

銀貨を一枚投げ出すが早いか、匆々このカッフェを出ようとした。

「もし、もし、二十銭頂きますが、・・・」

僕の投げ出したのは銅貨だった。

 

-けれども僕はその為にはどこかへ行かなければならなかった。

マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、・・・

 

「どうした?」

「いえ、どうもしないのです。・・・」

妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。

「どうもした訳ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが

死んでしまいそうな気がしたものですから。・・・」

それは僕の一生の中でも最も恐ろしい経験だった。

-僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。

こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。

誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

 

 

最後に載せているのが歯車のラストシーンなんですが

「何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。」と

自身の妻に言われたという場面について

芥川龍之介の妻である芥川文が、実際に交わした会話である事を証言しているそうです。