派遣から一年

あの日の夜は忘れない!

そうそれは金曜の夜だった

当時は事態の深刻さをそれほど理解しておらず

管轄からは大分離れてるしまぁ行く事はないだろうと

皆は外出していき、待機だった僕と同期と先輩3人は酒を飲んでいた

上司もおらず酒も進んですっかり楽しい気分になっていたら

「非常呼集」

そう・・・


事態は想像より遥かに深刻だった・・・

という訳でフラフラになりながらもトラックに資材やら荷物やら詰め込み出発準備

酔ってるのに何故か普段より動きが良いというね

そして出発は次の日の朝となった。

トラックの荷台に乗り込み、目指すは宮城・・

途中高速のサービスエリアで休憩のため止まったら

そこの人達がおにぎりを握ってくれててそれを頑張ってくださいといって僕らに配ってくれた

人の温かさってこういう事を言うんやなと実感した時でした

そして宮城の駐屯地に着き、テントをはる

当然ここも断水停電

水は水トレーラーに入れてもってきた分しか無いという事態に気付き絶望

というわけで使える水は飲料水、洗顔に使う水含め一日一人ペットボトル一本のみとなった

当然風呂も入れない、服も数着の着替えのみ

ここで僕は災害時の水の大切さってのを痛感した

コンビニやスーパーには当然物無いし

自動販売機も使えないし蛇口ひねっても何も出てこない訳だしね

普段当たり前にある水分が無くなるという恐怖・・


そして捜索中に「津波がくるぞ!」と言われた時

多分人生で一番焦った

一緒の場所で作業してた消防と必死に高台に登り

待つこと数時間・・・


何もなかった・・・

無くて良かったけど無線機で通信してる消防の焦り具合も尋常じゃなかったから本当に焦った

そして発見された遺体をトラックに載せ運ぶ事になり

僕はトラックの中で遺体を受けとることになった

初めて運ばれてきた遺体は赤ん坊とその母親と思われる二名の遺体

正直男か女かというのは識別できない

違う日には同じ年ぐらいの女の子の遺体を発見

そこら辺の瓦礫を捲れば遺体が出てくるかもしれない。

そんな普段では考えられないことがそこでは当たり前でした。

それから一年と考えると長いような短いような・・


まぁ僕が言いたいのは1つ
















エログッズとかは全部流れ出て恥ずかしい事になるぞ!!!








・・・


いや流石にこのオチはやめよう!

地震が起きても国が助けてくれるだろうという

甘い考えを持っていたら後で痛い目見るから

災害の備えというのは各自でしっかりやりましょう